ぼりログ

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料亭を辞めて独立、店を持たない板前「ぼり」の略歴

自己紹介

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こんにちは、当ブログ「ぼりログ」を読んでくださってありがとうございます。

 

現在、東京都内を中心に出張調理やイベント出店で現場に立ったり、レシピブログやオンラインの料理サロンなどで料理を仕事にしている「店を持たない板前」のぼりです。

 

板前といえば、厳しい世界観の中での「10年修行」に耐えた上で独立されたり、どこかの料亭の料理長になったりという方が多い中で、ぼくは板前修行を6年で辞め、現在は現場での仕事は月に10日くらいしかしていません。

 

ただ、ぼくは料理が嫌いになったわけでも、キツいから辞めたわけでもありません。
ぼくと「料理」とのちょうどいい距離感がこのくらいだったんです。こうした今の活動に至るまでの経緯をさらっとご説明させていただきます。
もしよろしければお読みください。 

平凡が目標だったぼくが今現在の活動に至るまで

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ぼくはそもそも板前修行を始めたのは24歳のときで、中卒とかも当たり前にいる板前の世界の割にはかなり遅めの修行スタートです。

 

高校卒業時の自分の将来図は、仕事帰りに「近所の居酒屋で今日オススメなに?」とかって聞いて隣の常連客と一杯やってるハゲた中年男性でした。
 
特に多くを望まない、できれば平凡に暮らしたいという考え。この考え方の根幹には少しぼくの「生い立ち」に関係があります。
 

ちょっとややこしいけどめっちゃ明るい実家でのぼくの生い立ち

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続いてぼくの家庭と生い立ちについて少し

まず、ぼくの実家は祖父の代で夜逃げしています。ぼくの親戚は全員福井県にいるのになぜかぼくの実家だけは石川県。

まあでも夜逃げした後に見つかっちゃったみたいで、ぼくの祖父は74歳になるまで返済を続けていました。

 

そんな家庭なので、田舎の割に家がめちゃくちゃ小さいです。2階の廊下は1m四方しかなく、上がった瞬間に壁で、左と右に部屋があるだけです。

 

あとぼくには父がいません。ぼくが生まれてすぐくらいに離婚していたので顔も知らなかったのですが、実はひとつ年上の兄もいたみたいです。それも20歳になるまで知りませんでした。ちょっとややこしいですね。

 

ただ、うちの家族はみんななぜか明るいです。何でも笑い飛ばします。たぶんある程度どん底を味わったことから来る「本物の強さ」だと思っています。

 

そんな家庭にいたので、決して贅沢はできなかったけど基本的にぼくはグレることもなかったし、なぜか反抗期すらありませんでした。

 

では、なぜぼくが平凡な将来した求めてこなかったのか。

それは、母から「うまい話はない」「大儲けしようとしなくていい」ということを、口を酸っぱくして言われて来たからです。

 

普通に生活していけることの有り難みを人並み以上に理解している母からの言葉は今も大切にしています。

しかし、当時のぼくは「夢もまあなくていっか」と変な解釈をして、本当になんの目標もなく高校を卒業しました。

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手に入れた当たり障りのない将来図

こうして当たり障りのない、「大失敗をしなければいい」という思いをもとにぼくは実家の近くにある工場に就職しました。
 
ただ、毎日同じことをこなすという工場作業は自分には合っていない事は理解できました。 もやもやしたまま「我慢」の2年間、転機となったのは1つ年下の後輩の行動です。
 
ちょっとヤンキー気質のあった地元の後輩がある日社長に呼び出されて面談をしていた時に、ヒートアップして社長の目の前で作業着を地面に叩きつけてそのまま会社を飛び出して退職。
 
 

かっこよすぎる…

 

 

 

そんな後輩に触発されは僕は翌年、ぼくなりに小さな反抗をしてキチンと退職届を出して退職。

 
基本的にまじめです。あと思い立ったら行動する癖は幼少期から治りません。
 
*6歳のとき「自転車で目をつむって坂道を駆け下りたらどうなるか」という実験をして、ドブに落ちて大木に顔からつっこんで大怪我をしたこともあります。
 
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勢いで「会社を辞める」という選択はしたものの、とにかく自分に自信がなかったので「3年続けらればどんな仕事にも適応できる」という噂を鵜呑みにして佐川急便の面接を受けます。 

 

自分試し。「キツイ」で有名な佐川急便へ入社

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3年経つまでに自分の人生をかける職業を見つける、それまでは耐えると決めました。
ここから地獄の日々を耐えしのぎます。
冬の配達の途中に手がかじかんで感覚がなくなって泣きながら配達をしたこともあったし、完全なるパワハラで家に返ってもご飯を食べられない日が続くこともありました。
 
この時期がこれまでの人生で一番辛かった時期だと間違いなく言い切れます。
入社からわずか2ヶ月で10kg痩せたので。
 
丸1年位は毎日泥のように眠る日々を経て、こうした時期をなんとか乗り越え、佐川急便のドライバーとして通用するようになり、ようやく「少し自分に自信を持てる男」になってきました。
 
辛いことばかりでもなく、毎日顔を出すお客さんに「佐川さん」じゃなくて「ぼりくん」って呼ばれて、退社するときには「ぼりくんじゃなくなるならもう佐川急便を使う理由もなくなるね」って本当は喜んじゃイケないけど涙を流すほどに嬉しい思いもありました。
最終的には辞める前の半期、営業成績の優秀社員になって退社を迎えることができました。
ほんと厳しい世界でしたが、素晴らしい先輩にも巡り会えて本当に入社して良かった。
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そして佐川急便に勤めて2年目の頃にぼくは「料理」と出会います
 

平凡が目標だったのぼくが見つけた「小さな夢」

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ぼくは佐川急便に勤めている間、20歳にしてはそこそこお金はあったので、夏にBBQセットを買い揃えてみました。
そして、「みんなで楽しむ場を自分が企画する」という楽しさにどっぷりはまっていきます。
友人みんなを招いて毎年海の日になると「海の日BBQ」と銘打ってBBQを開催し、1人で40人の友人を集めて主催するくらいに本気でした。
そこで振舞う、当時は料理と呼べはしないような料理でみんなが喜んでくれるのがすごく嬉しかった。
「ずっとこうやって誰かの「思い出作りの場」を提供できてたら幸せだな」と強く思います。
これがぼくが料理の世界に踏み込んだきっかけです。
 
こっそり始めた小料理屋の皿洗い

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配達先の料理屋に呑みに行った時にカウンターの向こう側に立ってみたいと思ったぼくは翌日、その小料理屋に「洗い物でも何でもするんで見学がてらカウンターに立たせて下さい。シフトが不安定なのでお店の希望に沿った日にはこれないのでお金はいりませんから。
と懇願。元々顔見知りだった為すんなりOKを貰えました。
 
そして接客業の難しさや料理の奥深さにちょっとだけ触れて面白いと思えたぼくは佐川急便を4年勤めた時にいよいよ板前修行に乗り出します
 

板前修行〜大阪へ〜

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最初に門を叩いたのは店主の修行時代の先輩のお店、大阪北新地にある割烹料理屋。
日本一治安の悪いと言われる大阪市西成区の1Kアパートに3人で住むという劣悪環境。
とりあえず「ここで寝て」と言われたのがキッチン。
 
とにかく怒られる、引っ叩かれるで辛い1年を過ごし、いよいよ下積みを抜け出した。その矢先、わずか半年でお店が潰れる。笑えなかった。
 
魚屋のアルバイトで掴んだ東京行きの切符

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行くこともやることもなくなって途方に暮れて居た矢先、「まだ続ける気はあるか?」と大阪を紹介してくださった小料理屋の店主さんに聞かれ、即答でイエスの返事をしたところ、石川県近江町市場の魚屋さんで魚捌きのアルバイトに入ることが決まりました。
そこからわずか3ヶ月、その時に来ていたお客さんの紹介で現在の料亭への就職が決定。魚屋さんには「相手の要望に合わせていつでも辞めていいぞ」と声をかけて頂き、東京の料亭からはすぐに来てほしいとのことで、週末に面接を受けて、週明けには東京の料亭で働いていました。
 

板前修行〜東京へ〜

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赤坂本店に入店するが、とにかく歴史を重んじるゴリゴリの縦社会。
 
基本的に間違っていると思ったら口に出す出てしまうタイプの僕は、ある日の口答えがきっかけで完全に居場所を失いました。
そして、支店のある名古屋に「出張」という名目で飛ばされます。
 
東京に修行しに行くといって1ヶ月で名古屋に飛ばされてそこから半年。
ようやく東京に戻る指示が出たところで、「あのお店に戻ったらたぶんぼくはもう持たない」という意向を汲んでもらい、都内にある2号店へ。
 
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ここで4年間の修行に耐え、お刺身を切らせてもらえたり、現場の指揮をとったりする立場にまでのし上がってきたところで板前人生最大の転機、「退職」を迎えます。

 

「板前修行」を辞めた訳

ぼくは4年間の東京修行のうちに自分の中で気づいた2つのことがありました。

そしてこの気づきがそのまま板前の世界を離れた理由です。

 

料理が好きで好きでたまらない訳じゃない

料理は好きです。目の前にある食材をどうやって自分の手で美味しい食べ物にできるのか。自分にできることはなんなのかをその場で考えることや、自分の手で材料が美味しく料理できたときはやっぱり嬉しいです。

だけど、料理のことだけを考えて生きていきたいかといえばそこまででもない。

と、このくらいの感じ。

ぼくの同期に「料理が好きで好きでたまらないやつ」がいたのですが、その人は何かひとつ疑問があればすぐにググるし、そこから派生して、「あ、じゃあもしかしてこんなこともできるのかな?」って休憩中にも調べているようなやつでした。

そんな同期を横目に「ここまで料理に没頭できない…」と感じたぼくは少しずつ、何の迷いもなく考えてきた「料理一本で生きていく」という自分の将来に不安を覚えます。

 

好きで好きでやっている人間に、努力で立ち向かおうとしても到底かなわないから。

 

ぼくは修業中からこうしてブログも始めていたし、おやすみの日は勉強を兼ねて食べ歩きとかってタイプでもなかったので、ぐんぐん差をつけられていく実感があり焦りはじめていました。

 

大好きな先輩が「業界」に潰された

そしてこれがとても大きな理由のひとつです。この文章は全体公開にしたくなかったので有料(100円)にさせていただきました。

 

もしよろしければお読みください。

内容としましては、会社や組織に属していないと生きていけないという状態は本当に危険だと実感したという内容です。

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平凡であったぼくが体現したいこと、発信したいこと。

ぼくは2016年7月末を以って勤めていた料亭を退職、現在は「店を持たない板前」として個人で活動を行っています。

 

活動は幅広く、料理人としてのイベント出店や、ケータリング、オンライン料理サロンの和食講師など。

 

ぼくは板前修業を続けてきた中で抱いてきた小さな「しこり」みたいなものがあったんです。

 

それが、料理人の成功は「雇われ料理長」か「店主」という狭い世界観。

ぼくはもっと料理人も自由に生きていいし、形や場所にとらわれずに生きていいと本気で思う。

 

こういった思いや、ぼくが実際に体験したことや朝鮮することを発信していくためにこのブログから発信を続けていきたいと思ってます。

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自分の活動を通して既存のやり方にとらわれず「こんな生き方もあっていいんだ」と思ってくれる人が出れば、ブログを書いていてよかったと思えます。

  

そんなぼくの思いを、リアルタイムにお伝えしていきたい。そのお伝えする方法がこのブログです。

 

長く個人的なぼくの反省の略歴を読んで頂き、本当にありがとうございます。

どうか、このぼりログを今後ともよろしくお願い致します。

 

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現在フリーランスとしての活動をはじめ、ありがたいことにお仕事もいろいろといただいています。

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以上、ぼりでした!

 

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