ぼりログ

MENU

「厳しい」「辛い」だけならこの世に板前は存在しない

f:id:boriesy:20161003142353j:plain

こんにちは。ぼくは福岡市博多区にある日本料理店「石堂橋 白つぐ」に務める、板前の「吉田 孝弘」と申します。

 

ぼくは高校を卒業して10年、ずっと板前修業をしてきました。

和食の世界にいる今、とても楽しいです。楽しくて板前をやっています。

 

ですが、「板前」や「和食」と聞けば、「キツそう」とか「厳しそう」というマイナスなイメージを抱かれています。

 

そこで今回、実際の現場に立ち続けているぼくから、「板前の世界に飛び込もうとしているひと」や「板前修業がキツイ」と感じている方に向けて、どうしても届けたいことを書き起こします。

 

「厳しい」「辛い」だけの仕事ならこの世に板前は存在しない

板前の修業はたしかに厳しい面も辛い面もあります。じゃあなんでぼくが続けられているかといえば、キツイということも含めて板前を楽しんでいられるからです。

 

でも、なんで板前と検索すればマイナスな表現ばかり飛び交っているのか。

 

たぶん楽しくて板前をやっている人は、料理をしている時間の方が楽しいからわざわざそれを書き込まないからだと思います。

 

厳しい、辛い、逃げ出したいと思っている人が料理に没頭することはできないからマイナスなイメージばかり世に吐き出されるのだと思います。

 

ぼくも聞かれれば答えますけど、自分が楽しくてやっていることの時間を割いてまで、「俺こんなに楽しいよ!!」なんて言う人なかなかいませんよね。

 

少なくともぼくはそうです。

 

料理には満点がない、だから楽しい

今、ぼくは結婚して子供もいます。お休みの日とかに子供の為に離乳食を作ってみたりもするんですけど、全然食べてもらえないときがあるんです。

 

子供は我慢しないので「おいしくない」と思ったら食べてくれません。

たとえ昨日おいしいと言ってくれたとしても、今日の体調や気分によって同じ料理でもおいしいとは思ってもらえません。

 

この根本にある感情は大人でも一緒です。

 

大人は我慢を覚えているから「おいしくない」って料理を残すひとはなかなかいません。

だけど、体調や気分で「今一番おいしいと感じるもの」は変わります。

 

ぼくは10年の修業をしてきた中で、「自分がおいしいと思うものを作れていればいい」と思っていました。

自分の作りたいものを自分の好きな調理法、味付けでお客さんに出してきたんです。

 

だけど、それはただの自己満足だということに気づきました。

 

だから最近は「おいしいと思ってくれるものが作りたい」んです。

ひとつの料理に対して10人が食べたら10人がおいしいという料理はありません。

 

その人にこそ食べていただきたい料理を、考えて考えて作ることが今は楽しくてたまりません。

 

厳しさに対しての心の持ち方

ぼくには、もう2度と一緒に仕事をしたくないと思っている先輩がいます。

その先輩は理不尽なことを言うし、仕事も全然教えてくれませんでした。

 

当時は「なんでこんな理不尽なことを我慢しなければいけないんだ」と不満を持っていました。

 

でも今になって。いや、今だからこそかもしれませんがこう思うようになったんです。

 

「簡単に教えないこと、理不尽なことにどんな意味をもたせていたのだろう?」と。

 

すぐに教えてくれることもできたのに「わざわざ」教えてくれないのには何か意味があったんじゃないか。

もちろん、実際のところは本人に聞いていないのでわかりません。

もしかしたら本当にただ自分が先輩にされてきたことを、仕返しのように後輩にしていただけかもしれない。

 

でも、大切なのは「相手がどう思っていたのか」ではなく「自分がどう捉えるのか」「その状況をどうやって自分に活かすのか」です。

 

続けなければ「目標」は見えてこない

キツイというイメージが定着している「和食」の世界に自ら飛び込むんだから、板前修業を始めた人には最初になんらかの「夢」や「目標」を抱いていたと思います。

 

それが日々の修業の中でぼやけてしまっているかもしれない。

 

でもそれって普通のことだと思います。

目の前の現実はやっぱり目の前にあるから、遠くのものは見えにくいです。

でも続けた先にしか見えてこないものはいっぱいあります。

 

仕事としてできてない部分と料理のおもしろさの部分は全く違います。

 

現状で仕事をできていない自分がいたとしても、それと料理の面白さとは何の関係もありません。

 

だから料理に向いていないなんて自分を責めることもありません。

料理人に向いているのは料理が好きな人です。

 

楽しめる自分であること

和食の仕事には単調な作業ももちろんあります。

 

一日中かけてひとつの食材の下処理をするとか。

でも、その先にあるものがしっかりと見えていれば、その作業も含めて「楽しむ」ことができます。

 

自分がしている作業は何の為の作業なのか。その作業だけを切り取って見てみると、なかなか見えにくいかもしれませんが、料理に関しては全て「おいしい」の一言のためにあります。

 

料理人の世界が厳しくて、辛くて、挫折しそうなあなたへ

あなたが今もし、辞めたいと思っているのであれば自分に聞いてみてほしいんです。

「嫌になっているのは、料理ではなく、仕事やお店ではないか?」と。

 

環境を変えてもいいし、一度逃げたっていい。

でも「料理を楽しむ」って気持ちは知ってほしい。

忘れてしまっているなら思い出してほしい。

 

料理の本当の楽しさを知らずに辞めていくのは寂しすぎます。

 

なぜ料理人という仕事があるのか?楽しいからです。

 

「厳しい」「辛い」だけだったらこの世に料理人は存在しない。

 

だから、もし目の前の辛さにくじけそうになっている人は、せめて自分なりの料理の楽しさを見つけ出してからもう一度考えてほしいです。

 

2016.10.4  石堂橋「白つぐ」  吉田 孝弘

 

 

以上、ぼりでした!