ぼりの備忘録

勢いでフリーランスになって借金100万になった2年間と最大売上を記録した1月

こんにちは、ぼりです。

2018年も、はや1ヶ月が過ぎてしまいましたね。

1月の中旬、ツイッターにてこーゆーつぶやきをしてました。

そして、無事達成できたので、この記事を公開することができました。

普段はお金に関しての話はあんまりブログには書かないのですが、ちょうどこのタイミングだからこそ書きたかったことだったので、書きました。

ちなみに、タイトルのことは全部まじです。

昨年の11月に本気で「稼ぐ」ことに集中すると宣言してから、まじで仕事のことしか考えてなかったので、無事に目標を達成できてよかった…

 

ぼくがなぜここまで「稼ぐ」に集中したのか。それには訳があります。

地元に帰るまでにどうしても自信と実績をつけたかった

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能登地方の海、静か。

ぼくは今年の4月に、地元石川県の能登地方に移住し、シェアハウスを立ち上げます。

もうかれこれ7年前、23歳のとき、

「10年後に自分のお店を出す」

「30歳になったら地元に帰って板前修業をする」

など、色々と計画を立てた上で実家を離れ、板前修行の道に踏み込みました。

でもご覧の通り、全ての目標から逃げてしまいました。

ただ、逃げたこと自体は後悔していません。

自分の心に感じる違和感に蓋をして、ウソをついて働き続けるよりはよっぽど良かったと心底思っています。

ただ、板前修業を辞めてフリーになったぼくは「なにか」を実現しなければ、とてもじゃないけど地元に帰りたくなかった。

ぼくの中の、誰にも求められていないしょーもないプライドです。

で、その「なにか」とは、気持ちとか勢いとか熱意とかでなく、誰が見てもわかる「数字という実績」でした。

そして、帰省を3ヶ月後に控えたいま、ようやく結果を残すことができたんです。

フリーになって1年半、「収入源の多角化」を目指した上での1月の収入

現在の主な収入源をジャンルで分けると全部で5つ。

正直、あんまり書くもんじゃないと思うので(今後はもう書きません)すが、実際の金額も書きます。

  • ブログ 18,315円
  • ライター 270,351円
  • コンサル 55,000円
  • コーチング 83,000円
  • 料理 5,000円
  • 合計 431,666

普段、生きていくのに10万円もかからない生活をしているので、どれかひとつの収入源が急になくなっても大丈夫な状態になりました。

 (ちなみに、けっこう頑張ってるつもりなんですけど、この中で料理を抜かして1番収益率が低いのはこのブログです…なんで…)

これは、料亭を辞めるときに掲げていた目標なので、めちゃくちゃ嬉しいです。 

普通に働いていれば当たり前かもしれないけど、収入源がひとつしかないことは

「自分がしたくてやっている」修行であると同時に、収入を得て生きて行く為に「嫌でもしなきゃいけない」ものになる。

引用:29歳板前、修業先の料亭を退職しました。 – ぼりちゅにてぃ

ひとつの収入源に縛られるって、極論ですが「イヤなら辞めたっていいんだよ?」みたいなイヤミを言われたときに「あ、はい。じゃあ辞めます。」って言えないってこと。

ぼくはなんでもかんでも我慢するのが正しいなんて思ってないし、むしろ生意気な性格なので、これがとにかく我慢できないくらい辛い。

だからこそ、収入源はひとつに絞りたくなかった。

誤解を招かないように言うと、現在のぼくの全ての収入源は、会社という看板を借りずに「ぼり」という自分の一個人の名前で頂いたものです。

なので、当然ながら全てがなくなっちゃったら困る仕事であり、大切な大切な収入源です。

今、「ぼり」という一個人に仕事をくださっている取引先の方々には現在進行系で死ぬほど感謝してます。

その上で、「ひとつの収入源に依存しなくていい」という状態は、「失ったら死ぬ」みたいな依存心がないんです。

依存心がないと、相手にも感じた違和感とかをちゃんと伝えながら仕事をできるので、結果的にお互いが気持ちよく仕事ができます。

冒頭からここまで、なんだか「成功者」のような物言いをしちゃったのですが、ぼくが今までいかに頭の悪い道筋を辿ってきたかは、ここから先を読んで頂ければわかります。

たぶん、ほんとに「あ、こいつマジのバカなんだな」って思うと思います。

正直、胃が痛いです。

それでは…いってみます…

勢いでフリーランスになったやつの借金が100万円に肥大するまで

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ぼくが会社を辞めたのは一昨年の7月。

でも、最初に「あー、辞めよっかな」って思い始めたのは、その半年前くらい。

つまり2年前の1月くらいからでした。

ちょうどこのブログを始めたのも同時期です。

ここからは今までのぼくのリアルタイムの活動と、その当時の借金を開示しながらの報告になります。

会社員を辞めたタイミングの収入、1ヶ月1,000円。

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料亭やめる前の私

料理人として職場に出勤してたときに、自転車で事故りかけたことがあって。

そんときは無事だったんですけど、ふと

「今、事故って体が不自由になったりしたら俺ってどうやって料理の仕事で生きてくんだろ…」

って思ったんです。

この”問い”にはずっと蓋をしてきました。だって世の中めちゃくちゃ料理一本で働いてる人いるし。

でも、そのタイミングから少しずつ「一生料理で食ってくのって結構リスキーかも」って思い始めました。

そんなこんなで職場でも色々といざこざがあって、2年前の8月に勤めていた都内の料亭を退職。

以前、管理人をさせてもらってた三軒茶屋にあるシェアハウス、ハイパーリバ邸のクラウドファンディングと重なったので「いまが何かのタイミングだ」と思いました。

このときの会社のお給料以外の収入源は、当時1,000円くらい稼いでたこのブログだけ。

ぼく、バカなのかな。

会社を辞めたタイミングでの借金、40万円。

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結局、ヒマだったのでお酒ばっかり飲んでた私

そんで、実は会社辞める時点で借金40万あったんです。

べつにキャバクラに通ってた訳でもギャンブルやってた訳でもないんですけど、 以前同棲していた彼女さんと別れることになって、ぼくが同棲してた家から出てくことになりまして。

都内でワンルームのアパート借りるのに敷金礼金と家具の購入までやってたらこの金額になりました。

都会で生きるのまじハード。

つまりまあ、フリーランスになるときのぼくのステータスはこんな感じでした。

  • 借金 40万
  • 稼ぐ手段 未定(月1,000円)

はい、それではみなさん、いっせー、のー、でっ!

頭悪過ぎ〜〜〜っ!!!

とりあえず、思いつくことからやってみた。

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初の出張まかないの日

何の計画もないままフリーランスとしての活動をスタート。実質、ただのニートみたいなもんでした。

で、自分のサービスでお金もらえる自信がなかったので、とりあえず300円(交通費分)から出張料理をはじめたんです。

ほんと、なんで今生きてられるんだろ。

www.ooborisatoru.com

で、これがなんかフワっと話題になりまして。

結果的に300円の出張料理に対して、愛知県の豊橋市から依頼を頂きました。

「交通費(2万円)全部出すから来てよ」って。

豊橋に向かう新幹線の中での時間が、人生で1番胃が痛かったのを覚えてます。

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胃が痛い私

www.ooborisatoru.com

この2万円は交通費として頂いたものだったので、手元に残るものではありませんでした。

だけど、「自分という一個人に2万円を払ってくれる人がいる」ってのはめちゃくちゃ嬉しかったし、少し自信がつきました。

今、この文章書いてて自分で「アホだな」って思うんですけど、このあと更に借金を重ねることになります。

*この時点での借金=約60万

新型のMacBook Pro、買った。

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浮かれてる私

この記事の自分の顔さえホント腹立つ。

なんのアテもないくせに一気に10万以上借金を増やしたんです。

この、大馬鹿者。

もうこれでさすがに「自信ないとか言ってらんねぇな…」って思って、思い切って出張で会席料理を提供するサービスをはじめることにしました。

*この時点での借金=約80万

 一回ちょっと、稼げるようになった。

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マグロ解体ショーでお刺身切ってた私

3,000円4名〜の設定ではじめた出張会席でしたが、利用してくださったお客様にアドバイスを頂いたりして、最終的には9,000円4名〜まで値上げすることができました。

(*出張料理は現在はもう行っておりません)

300円→36,000円(9,000円×4名)の値上げに成功。

すごいじゃん、がんばったじゃん、俺。

出張料理のおかげで、「なんとか生きていけるだけの金額が稼げるようになってきたかな〜」ってところで、「全国で出張料理の食事会をしたい!」ってクラウドファンディングに陶芸作家のユキガオさんと挑戦しました。

結果として、開始3時間半で目標金額を達成、最終的には目標金額の400%まで支援が拡大しました。

支援してくださった皆様、本当にありがとうございます。なんとかぼくは生きてます。

ただ、このプロジェクト中の1ヶ月という期間、必死過ぎて一切他のことに集中できませんでした。

選挙に出馬してる人とかこんな感じなのかな?

で、このプロジェクトを知ってもらう為に、色んなとことかに顔を出したりお願いしに回ってたら、完全に収入面を無視していたので、更に借金が増えました。

多分、「後先」って言葉を知らなかったんだと思います。

そろそろ見てて辛くなってきました?

でも、ようやく挽回のきざしが見えてきます!もう少し!頑張って!

*この時点での借金=約90万

クレジットカード、停止。

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「仕事ください」って言ってるときの私

いやー、これは効いた。

クラウドファンディングが終了し、「さあいよいよリターンで全国行脚だ!」って思ってたら、CAMP FIREにプロジェクト支援金の振込申請出すの忘れてて、振込がほぼ2ヶ月後だってことが判明しました。

なので、料理の材料費や全国への交通費を一旦立て替えることに。

当然、この資金を捻出するお金はなかったので、ここでようやく借金3桁の大台を突破しました。

で、一通りの全国食事会が終了してから、一旦建て替えた分が戻ってきてここからが返済スタート。

はい!ここでもっかいバカなことしま〜〜〜す!

*この時点での借金=約100万

料理の仕事、辞めてみた。

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昼間っからお酒飲んでる私

いやー、すがすがしい。

ほんとの大馬鹿。

ブログの中でちょっとかっこつけてるのもムカつく。ふざけんなボケ。

自分の中で1番の武器だったはずの「料理」の仕事をまるごと辞めました。

「1番の武器をなくした時に人は必死になる」みたいなのをキングコング西野さんのブログ読んで触発されました。

え? 料理以外になんの仕事してたかって?

結局、なにしたらいいかわかんなくて日雇いの肉体労働してました。

板前辞めて1年後にレンガ4,000個運んでるときは、さすがに会社辞めたことちょっと後悔してました、まじで。

その当時「今1番なにがほしい?」って聞かれたら迷わず「固定収入」と答えたと思います。(今も)

と、ここで現在拠点を置いている千葉の”まるも”から田舎フリーランス養成講座の講師の話が舞い込みました。

「俺でいいのかな?」ってちょっと不安に思ったけど、「クラウドファンディングや出張料理の経緯とかは参考になると思うから」ってことで声をかけて頂いて。

オーナーの池ちゃんが神様みたいな人でした。

今後、どこに住んだとしても、千葉県には足を向けて寝られません。

この辺りから、ようやく回復の兆しが見えてきました。

*この時点での借金=日雇い肉体労働のおかげで約100万をキープ

田舎フリーランス養成講座で、ぼく自身も受講生と一緒に学んだ。

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偉そうに喋る私

こうして拠点としていた三軒茶屋のシェアハウス「ハイパーリバ邸」を離れ、千葉にある”まるも”へお引っ越し。

実際に安定して返済できるようになったのはこの頃からです。

講師という立場を乱用利用して、ぼく自身の担当講座以外の全てを受講。

めちゃくちゃ勉強させて頂きました。

そんな感じで2017年の後半から、徐々に収入が拡大し、10月以降は安定して会社員時代のお給料を上回るようになりました。

で、田舎フリーランス養成講座で1番学べてよかったのが、実際に”まるも”を作ったオーナー池ちゃんの「営業講座」です。

フリーランスがそもそもどうやって仕事を頂くのか?どんな風に提案すればいいのか? 、その辺りを講座の中で、池ちゃん自身の実体験を包み隠さず教えてくれたのは死ぬほど勉強になりました。

(それと同時に、自分がどれだけ無茶なスタイルでフリーランスとして活動していたのかを知りました)

どこに移住しても毎日、千葉方面に毎朝1礼します。

池ちゃん、ホントありがとうございました。

結果、なんとか生き延びた。

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ちょっと気楽になった私

と、まぁこんな感じで、2年かけてようやく息を吹き返しました。

ただ単に収入が過去最高になっただけでもめちゃくちゃ嬉しいのですが、冒頭でも書いた通り、収入源がひとつではないのが、1番の”心の安定”になってます。

仮に1つ2ついきなり収入源がなくなったとしても他の収入源もちゃんとあるから。

今は上り調子なので、これから先も分散&拡大します。

目標は会社員時代の3倍。

とりあえず、まずはさっさとこの借金完済したい。

今じゃないと、この話はできなかった。

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ちょっと疲れてる私

この、目も当てられないような無様な2年間を、なぜ今このタイミングで記事にしたのか。

途中で誰かに「もういい加減、辞めとけば?」って止められたらくじけそうだったからです。

ぼく自身、自分の人生にちゃんと責任を持っているけど、地元の友人や家族にこの状況を言っても、ただ呆れられるだけだと思った。

もし実際に口に出してたら、この予測は現実のものになってたと思います。

そのとき、呆れられる表情に耐えるだけのメンタルはなかった。

だから、「ちゃんと数字で結果を出した」と自分に自信を持てるまではこの話はしないと決めてた。

やっと、笑って話せるようになりました。

一個人の仕事に、価値を提案する力 。

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かわいい私の名刺

ぼくは

「会社員とかほんとやってらんねぇw」

「フリーランスさいこぉおおおっ!」

とかって言いたい訳ではありません。

フリーランスだろうがなんだろうが、お金を払ってくださる相手は企業であり、人間です。

なので「フリーランスは誰にも頼らず生きていくことだ」なんてめちゃくちゃな勘違いもしていないつもりだし、根本的なことは変わらないと思っています。

ただ、この2年間で「自分の仕事に値段をつける」ことに、とことん向き合いました。

そして、今頂いている全ての仕事が、ぼくが死ぬまで頂き続けられる仕事だとは1ミリも思っていません。

正直、いつかはなくなる仕事だと思っています。

でももし仮に、今の仕事がなくなったとしても、ぼくは次に仕事を取ってくるための思考力と、自分の仕事に価格をつけ、”対価を頂く”という力を身に着けたと思っています。

これもある意味「手に職」なのかなって。

2年間の手探りを経て、そう思えるようになれた。

だから、この記事を書けた。

この感覚を得られるようになったのがすごく大切な経験だったと思うし、会社員と個人事業主、どちらも本気で挑戦することができてよかったと思っています。

こっからは、加速します。

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私の机

とりあえず「やべぇ、死ぬ」って状態を脱することができました。

そして、活動の拡大を見据える余裕も出てきた。

まだまだ借金は返済中なので気は抜けないんだけど、この2年間の活動の中で「いける」って自信がついたので、こうしてブログに書き起こしました。

「ぼり」という、”自分の名前で生きていく自信”が確立したってことで。

ただ、もし直接ぼくに会う機会がある方は存分に「借金ばか」と罵ってください。

正論でしかないので。

近日公開の情報、色々あります。

とにかく今年はチームで動くことを前提にしています。

その為にもまずは一個人としてしっかりと自立した人間になる必要があったので、めちゃ「個人の仕事」を頑張りました。

ここから先は「個人では実現できないこと」に挑戦していきます。

で、近日ちょっとした発表もあります。

最新情報はツイッターで更新するので、もしよろしければぜひぜひツイッターのフォローお願いします。

ぼりさん (@borilog) | Twitter

2月は少しだけペースをゆるめようとおもいます。

ぼりでした。